前回のおさらい
前回は那珂川市の現人神社と警弥郷の警固神社元宮を訪れ、縄文海進時の「水の道」を考察しました。今回はその考察を、最新の地形分析手法で検証します。
2026年、新たな研究が発表された
2026年1月、金澤正由樹氏(Human Sciences ABO Center)が、国土地理院の**5mメッシュ標高モデル(DEM)**を用いて邪馬台国・神武東征の時代の地形を分析するプレプリント論文(早期公開論文)を発表しました(DOI: 10.20944/preprints202601.0132)。
この論文が示す「5mDEMによる古代地形復元」という手法に着想を得て、私自身も同様のアプローチで博多湾エリアの分析を行ってみました。以下は、その独自分析による仮説です。
縄文海進のピーク時の海面を+10mと設定し、JAXAの海面上昇シミュレーションツールを用いて、博多湾周辺の聖地の位置と地形の関係を検証してみました。
※これは私個人の仮説であり、今後の検証によって変わる可能性があります。
国土地理院の標高図で見る「縄文時代の博多湾」
国土地理院の標高図に、縄文海進時の海面上昇ラインを重ねた地図をご覧ください。

地図の見方:
- 青:縄文海進(+10m)で確実に海だったエリア
- 水色:海水が遡上していた可能性が高いエリア(+15m)
- 赤:汽水域と推定されるエリア(+20m)
現在の福岡平野のほぼ全域が水没していることが一目でわかります。天神・博多駅周辺はもちろん、城南区・南区の大部分まで海の底でした。
那珂川の水面を考慮すると何が見えるか
ここで重要な視点があります。
現在でも那珂川の水面は地面より約7m低い位置にあります。当時は堆積物が少なかったため、さらに約10m低かったと考えられます。
つまり地面の標高だけでなく、那珂川という天然の水路が海水をどこまで運んでいたかを考える必要があります。
| 地点 | 地面の標高 | 那珂川水面(地面-10m) | 縄文海進+10mとの関係 |
|---|---|---|---|
| 福岡平野(青エリア) | +10m以下 | 0m以下 | 完全に海 |
| 警固神社元宮(赤エリア) | 約20m | 約10m | 汽水域 |
| 現人神社 | 約24m | 約14m | 満潮時に海水が届く限界点 |
この補正を加えると、那珂川の谷筋を通じて海水が現人神社のすぐそこまで遡上していたと考えられます。
地面の標高だけを見ると「なぜこんな内陸に海の神が?」という疑問が生じますが、那珂川の水面を考慮すると疑問は一瞬で解けます。那珂川という天然の水路が、海水を現人神社のすぐそこまで運んでいた可能性があるのです。
「警固」は汽水域の守護神だったのか
地図上で警固神社元宮(警弥郷)の位置を確認すると、赤エリア(+20m)に位置しています。
那珂川の水面補正を加えると、ここは縄文海進時に海水と那珂川の淡水が混じり合う汽水域の境界にあたると考えられます。
汽水域とは:
- 魚介類が豊富で古代の人々にとって最重要の食料生産地
- 海と川の潮流が交わる航海上の要所
- 海水と淡水が混じり合う環境が激変する境界線
「警固」という地名が「警備・守護」を意味することを考えると、この汽水域の境界に守護神を祀ったというのは、興味深い一致だと感じています。
志賀海神社・能古島・小戸大神宮――外海の守護
一方、博多湾の外側に目を向けると:
- 志賀海神社(志賀島): すべての水没ラインの外。島の高台から玄界灘全体を見渡す
- 能古島: 水没ラインの外。博多湾の中央に浮かぶ要衝
- 小戸大神宮: 段丘崖の上(標高約39m)。水没ラインをはるかに超える高台
これらはいずれも、今回の分析では縄文海進で水没しなかった場所として位置づけられます。
志賀海神社の由緒書きには「玄界灘に臨む交通の要衝として『海神の都』と称された」と記されています。現地から博多湾を望むと、湾全体が一望できます。外海を監視するのに、これ以上ない場所です。
神社の配置が語る「水の道」
6つの聖地を地図上に並べると、外海から内陸へと続く一本の「神話の軸線」が見えてきます。

| 神社・地名 | 縄文時代の環境(推定) | 役割(推定) |
|---|---|---|
| 志賀海神社(志賀島) | 水没せず・玄界灘の見張り台 | 外海の守護 |
| 小戸大神宮 | 水没せず・湾口のボトルネック | 禊の場・湾口の守護 |
| 蛭浜 | 水没ラインギリギリの微高地 | ヒルコ漂着の地 |
| 能古島 | 水没せず・湾内の要衝 | オノゴロ島説・湾内の守護 |
| 警固神社元宮 | 汽水域の境界 | 那珂川河口・汽水域の守護 |
| 現人神社 | 海水遡上の限界点 | 内海最奥部・川上の守護 |
外海→湾口→汽水域→海水遡上の限界点という順番で、神社が「水の道」を守るように配置されているように見えます。
そしてこの配置は、地面の標高だけでなく那珂川の水面を考慮した海水遡上ラインの推定と、興味深い一致を見せています。

「神々が選んだ土地」と現代の土地選び
なぜ不動産の仕事をしている人間が、こんな話をするのか。
数千年にわたって守られてきた聖地には、地形的な強さという理由があるのかもしれません。逆に言えば、地名が消え、由来が忘れられた土地には、私たちが向き合うべきリスクが潜んでいることがあります。
今回の分析が示すように、現在の福岡平野の大部分はかつて海や汽水域だった可能性があります。その中で水没しなかった場所に、今も神社が建ち続けています。
ハザードマップだけでは見えない「数千年単位のリスク」を読む力――それが地名と地形を学ぶことの本質だと、改めて感じています。
次回予告:第4回(最終回)
「神社は『安全地帯の印』だった――古代人が残した最強のハザードマップ」
連載の総まとめとして、6つの聖地をハザードマップで検証します。古代人が選んだ場所と現代の防災データが一致するとき、土地選びの本質が見えてきます。
【この記事の執筆・監修】 川内秀敏(立地防災アドバイザー・宅建士・FP2級・法政大学地理学科在学中) 不動産業25年。宗像・福津・古賀エリア専門。 福岡住研究所(FUSUMALAB.)代表
【免責事項】 本記事の内容には、執筆者独自の仮説・考察が含まれます。地名の由来・歴史的解釈・地形分析には諸説あり、今後の研究で変わる可能性があります。土地購入の最終判断は必ず専門家にご相談ください。当事務所は掲載情報の正確性を保証するものではありません。
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